平山繁樹さんの写真10
2020-02-12


平山さんのアルバムにあったご家族写真。


台紙に書きこみはありませんでした。

小さな子どもさんたちが一緒なので、ご家族が平山さんがいる基地に面会に来たというよりは、平山さんがご実家に帰ったときに撮られたもの、と想像しています。

いつの写真かな?

平山さんの袖が写っていました。

んー、はっきり見えないぞー(´・ω・`)
でも飛行機は1機、縦にレイアウトされているように見えるんですが。3飛曹の階級章です。

これが9期生が実際に袖につけていた3飛曹の階級章です。
飛行機の主翼や尾翼の位置は平山さんの袖の図柄と一致しているような気がします。





ちなみに、平山さんの場合の、使用階級章の想定を図化してみました。
※丸型階級章の図は実際9期が袖につけていたものとは違います
丸いのは旧型、盾型のは新型です。17年11月1日に切り替わったそうです。
ちなみに帽章も。

17年10月31日〜18年10月31日までの階級章は上の通りなんですが、2飛曹(11月1日からは1飛曹)に進級したのがちょうど南太平洋海戦の直後でトラック島だったろうと思うんです。
そこで進級日である10月31日にきっちりと階級章が支給されたのかどうか?
支給されたとして、丸いのが支給されたのか、盾型のが支給されたのか?
わたしはつかんでいません。わからないので、いちおう2種類ともあげておきました。

今回は写真の平山さんがつけている階級章の話なので、あれが「3飛曹」の階級章だとしたら、上のことは関係ないんですが。

話をすすめます。
平山さんが3飛曹時代の写真だとします。

進級したのは15年10月1日。
このころ平山さんは宇佐空で実用機の飛練中です。
10月31日に卒業し、加賀に配属。
島田さんの日記を読む限りでは博多卒の人たちは飛練を卒業した後はそのまま任地に向かっています。
実家に帰る日程的余裕はなかったと。たぶん宇佐も同じだったのでは。

そのまま休暇なしで11月の下旬には真珠湾に向け出港。

真珠湾後はどうだったか?


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[乙9期]

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