2014年夏、何かの会報で久保さんのお名前を偶然見つけて手紙を書いたのが最初でした。
それまで全然表に出てこられなかった方なので、
「ご迷惑ではないだろうか」
「お返事をいただけるだろうか?」
と心配でした。
が、丁寧なお返事をいただけ、さらに通信を重ねて年末の愛媛の零戦搭乗員会の際に訪問することにもなりました。
あのときは愛媛の零戦搭乗員会の人に連れて行ってもらいました。
久保さんは奥様と一緒に自転車で迎えに来てくださっていました。
久保さんはあまり積極的にしゃべる感じではなく、聞いたら教えて下さる、という感じでした。
わたしの声が聞き取りづらかったようで、一緒に行った人がおもに久保さんから当時の話を聞かれていました。
わたしはスキャン係で(;^ω^)
寒いからいいです、と言っているのに、帰りもまた送ってくださいました。
2回目は半年後の2015年の5月でした。
愛媛を訪問するにしてはちょっとペースが早いでしょ?
前年の年末に久保さんを訪問してそのことをブログに書いていたら、年明けすぐに同期生の藤本久夫さん(19年10月13日 761空 高雄)の息子さんがこのブログを見つけてくださったんです。
息子さんは藤本さんが戦死されたあとで生まれたとかで・・・・。
「父親を知っている人に会いたい」
ということで、久保さんのところに案内しました。
というか、どさくさにまぎれてついていったというか・・・・。
久保さんと藤本さんの息子さんが対面されたとき、一緒にいたんですけどね・・・・。
もう、何と言いますかね・・・・。ことばでは言い表せないですよね・・・・。
そのとき見せてもらった久保さんの海軍時代の懐中時計。
たしか、探してくださったんですよ、海軍時代のものを。
このときはこの時計、止まっていたんじゃないかと。
このあと、時計職人さんのご厚意で動くようにしてもらったと大変喜ばれていましたっけ。
襟巻も出てきたそうで。
当時のように装着してもらってパチリ。
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