木更津にいた、ソロモンで戦死した、ということはわかりましたが。
で、2次会が終わって部屋に戻ってすぐに、いつも助けてもらっているKさんに、
「8期の小澤芳平さんの情報って何かお持ちではないですか?」
とメールしたところ、すぐに返信がありまして。
横須賀空、木更津空、高雄空を経験した中攻の操縦員だということがわかりました。
そのときのメールに、
「小澤さんは9期の二階堂信治さんが戦死されたときのペアの操縦員ですよ」
と書かれてありまして。
ビックリしてすぐに調べたらその通りでした。
二階堂信治さんのことは
ここに書いているのでどうぞ。
二階堂信治さん。大分時代(16年秋)。
一式陸攻は基本7人乗りです(主・副操縦員、主・副偵察員、主・副電信員、搭乗整備員)。
二階堂さんが戦死されたとき、その主操縦員が小澤さんで、二階堂さんは主電信員でした。
ペアというのは死ぬも生きるも一緒。
乙飛の先輩後輩だし、二階堂さんは小澤さんを頼りにし、小澤さんは二階堂さんをかわいがっていたのではないかと想像します。
※しかし、年齢は二階堂さんの方が上なのです(^^;)
今回、二階堂さんが戦死前日に書かれた家族に宛てられた遺書全文を読ませていただくこともできました。
――という不思議なご縁が慰霊祭でありました。
さきほど、弟さんから、
「写真届きました、ありがとう。仏壇にお供えしています」
とご丁寧なお電話をいただきました。
芳平さんも弟さんのもとに戻れて喜んでいることと思います。
※画像は9期生ご遺族、武田信行氏ご提供
海原会の方にはいつも便宜をはかっていただき感謝しています
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