乙8期 小澤芳平さん
2017-06-02


この写真を見るのは初めてだそうです。

「わたしに似ているでしょ?」

と言われていました。

じろじろと見比べてみたところ、たしかに似ていました。

この写真の芳平さんが70数年経ったら、弟さんのようなおじいちゃんになる・・・・
逆に、弟さんを70数年若返らせたらこの写真の芳平さんのようになる・・・・






パソコンの画面いっぱいに拡大してあげたところ、画面に手を合わせ、

「慰霊祭に来れば兄貴に会えるような気がしていました。まさか、本当に会えるとは思っていなかった、よかった、よかった」

と涙を流されました。




「この写真、もらえないですか?」

とのことだったので現像してお送りしました。


写真の持ち主である9期のご遺族の方々からも、

「写真をお持ちでないご遺族の人が見つかったら渡してあげて」

と言われているので。





2次会が終わって部屋に戻って手持ちの写真を探したところ、他にもありました。
なぜか9期生が持っていました、8期生の授業中の写真。

9期生は一人も写っていないんですよ。

名札がついているので、名札が読める人はわかります。
本間猪佐夫さん、犬塚教市さん、古谷喜代一さん、金子一郎さん、奥富梅次さん、豊田三夫さん、東さん(複数いてどの東さんかわからない)、などは名札が見えています。

名札が見えていない中に小澤さんがいました。
真剣な表情で授業を受けています。




倉町秋次先生の『予科練外史』にも小澤さんのことが少し書かれています。
8期の操偵検査時の記述です。

霞ヶ浦航空隊分遣隊友部飛行場(のちの筑波航空隊)に到着し、飛行場見学をしたときの話です。飛行場に雲雀の巣があったようでそのことに関して8期生たちのエピソードがいくつか書かれています。

『小沢芳平練習生は、心の中で、故郷の父母に向って、「私は一生懸命やります。」そして、「小鳥よ、草木よ、明日会おう」と呼びかけていた』

文脈的には唐突に小澤さんが登場するんですが(^^;)
たぶん、倉町先生は、かれらが横須賀に帰隊後、操偵検査の所感を書いて提出させたのではないか? そこに小澤さんのこのときの感想が残っていたのではないか? と想像しています。

――心根の優しい小沢芳平練習生は、長野県出身。やがて一式陸攻の操縦員と育ち、高雄空に所属、昭和十七年九月二十八日、ガダルカナル島飛行場爆撃直後、高角砲弾の直撃を受けて散華した。


ここまで『予科練外史』に書かれています。


8期生の戦後の同期生会誌。
『何時も笑っている様な顔をしていて誠実に溢れ教班長当番等に当たると誠心誠意役を果たし責任感に燃えていた』


弟さんから。
「兄とは10ほど年が離れていて、自分が末っ子だったからとてもかわいがってもらった。毎月、幼年倶楽部と少年倶楽部を送ってくれていた」
※芳平さんは大正10年(1921年)生まれ、弟さんは昭和5年(1930年)生まれ


17年9月28日  高雄空  ソロモン








実はですね・・・・。

懇親会で弟さんに芳平さんの部隊のことや機種のことを聞いたのですがもひとつよくわからなかったんです。

続きを読む
戻る
[乙9期]
[乙8期]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット