初房総半島
2015-04-06



ここで館山から戻って来た戦史研究家Yさんと山岸さんの姪御さんと合流〜♪

あらかじめYさんが手配してくださっていた資料館の見学をしてきました。

千葉真一さんのお父さんが搭乗員だったとかで、関連資料がけっこう置いてありました。
搭乗員といっても、わたしが知っているような時代の人ではなく、戦史人物経歴研究Kさんぐらいしか知らないような時代の方でした(^^;) 大正ぐらいの搭乗員。草分け的な。

大竹典夫さんゆかりの品もありました。

屋外に迷彩カバーにおおわれた一式陸攻のプロペラも置いてありました。4翅の。
たしかふつうは3翅ですよね。
プロペラ自体は見えなかったので「カバーが陸自っぽい」と、そこに注目(笑)



この日はめっちゃくっちゃ強風でですね(;^ω^)
台風みたいでした。春海が飛んでいきそうになっていました(笑)
うちでは台風のときでもこんな風吹かないぞってぐらい強い風でした。

自衛隊の見学といえば若者のスカウトが定番ですが。
春海も、
「自衛隊、どう?」
って案内の人に誘われたそうです(爆)

畳の上での匍匐前進でひじが血まみれになるような弱兵に声をかけたらいけませんぜ(笑)




3時過ぎに見学終了して、Yさんたちは茂原に。

わたしも行きたかったんですが、ある事情で断念。

そしたらYさんが、
「よかったら、明日茂原ご案内しましょうか?」
と。


わたし、図々しいからそんなん言われたらおことばに甘えちゃいますよ!( ̄▽ ̄)






――って、翌日、Yさん、お休みのところを出てきてもらい、茂原を案内してもらったのでしたー!!(*´▽`*)

ドライブがてら、海軍話をしながら茂原へ。

「茂原」ももちろん魅力的には違いないですが、数時間Yさんを独占できて話を聞けるというのがこれまたなんとも(*^。^*)


Yさん、まるで「我が町」のようにサクサク案内してくださいました。
たぶん、自分一人で来ていたら掩体壕1つ見つけられなかったと思われます(^^;)


最初に行った掩体壕。
禺画像]

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掩体壕2つ目。
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こちらはちょっと遠くから見学。


茂原の掩体壕、変わってる!!( ̄▽ ̄)

って思いました。


松山の掩体壕は大小2つのかまぼこをくっつけたような形をしています。
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「掩体壕」といえばこのイメージだったので、茂原の「ゆるやかにすぼまっていく形」は新鮮でした。

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ちょっとわかりにくいかもしれませんが、茂原の1つ目の掩体壕は内部が奥に向ってこんな感じ。

松山は内部もかまぼこ2つ結合の形のままなんですよ。
禺画像]

ちなみに高知もかまぼこ大小2つ結合型です(図面によると)。

いろんなタイプがあるんですね、おもしろーい。

地域で違うんだろうか、年代で違うんだろうか?






そのあと滑走路あとの直線道路を走ってもらいました!!

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