2等機関兵。左袖には特技章も。
このあと偵練に進まれたようです。
写真がないけれど、偵練27期(横須賀海軍航空隊)。
昭和9年ごろ。
卒業後、延長教育が館山海軍航空隊。艦攻偵察員。
袖の階級章は1等航空兵。左袖には操(偵)練出身者の特技章。
善行章はないように見えるので、〜10年前半ぐらいの撮影でしょうか。
こちらは善行章がついているので10年夏ごろでしょうか。
そして昭和10年10月から龍驤、艦爆偵察員。
次なのか、次の次なのかわかりませんが、12〜13年ごろ多摩で水偵偵察員。
斉藤さんと。
ヒゲの藤波さん。
すでにベテランの風格を漂わせていますが、よく見ると善行章が1線しかついていないので昭和10年頃から13年ごろの写真のようです。
龍驤か多摩か。
後ろの壁から「龍驤だ」「多摩だ」ってわかる方がいらしたらご一報ください。
先日紹介した家族写真。
お孫さんのお話だと16年撮影ということでした。
奥様が抱っこしている次女さんの生年月日を教えていただいたので、そこから16年のいつごろかわかるとよいのですが、戦前戦中の子どもさんはいまの子どもと発育が違っていたりして、見た目で「何ヶ月ぐらい」とか「何歳ぐらい」って難しいですよね。
わたしは別方面から撮影時期が絞れないか検討中です。
真珠湾攻撃時は蒼龍。水平爆撃隊嚮導機偵察員。(鹿熊粂吉さんご遺族所有)
16年後半。
9月18日〜11月の撮影だと思います。
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