蒼龍艦攻隊 11分隊・12分隊U
2022-05-07


蒼龍艦攻隊、11分隊・12分隊間のことで解決していないことがあります。



わたしが見た手書きの11分隊名簿には、潮さんのお名前が書かれている欄に、もともとどなたかのお名前が書かれていた痕跡があります(田村ペアではない)。
これを解決したい。
16年11月1日時点では誰かほかの搭乗員が11分隊構成員だった、ってことですよね。

それに潮さんのお名前、不自然な場所に入っているんです。
潮さん自身は甲1出身の1飛曹なわけですが、名簿のお名前が書き込まれているところは野崎実男3飛曹と宮崎徳三郎1飛の間です。
この名簿、基本的に先任順に書かれていると思うんですよ。
なので、最初は、他が詰まっていてそこしか潮さんの名前を入れられる場所がなかったのかな?とも思いました。
だとしたら、ここに入っていたのは操縦の3飛曹か1飛の人。
心当たりを当ってみたのですが(いつものように周囲の方にも(^^;))、わかりませんでした。




ここで重要な証言があります。
森拾三さんです。真珠湾時は11分隊・長井分隊長(雷撃隊)の2番機の操縦員です。
浅川さんの操練38期集合写真の森さん(練習生当時)。

この森さんが、自分が蒼龍に転勤してきたときのことをこんな風に書いているんです。
※『奇蹟の雷撃隊』(光人社NF文庫)

『もうひとつ気になる問題があった。私が所属する第十一分隊は、艦上攻撃機九機編制なのに、操縦員が十名いることであった。
「森の乗る飛行機などないよ」
「なんで転勤してきたんだ」
仲間たちは、そんなことを言って私を冷やかした。
(ひょっとしたら、予備員ではないのか? いや、そんなはずはない。おれの乗る配置がないなど、そんな馬鹿なことがあってたまるものか!)
私の飛行時間は、四千時間から五千時間にもなろうとしている。それに、一応は支那戦線の経験もつんでいるのだ。それなのに、予備員だとしたら、なんともはや情けないしだいである。
(ほんとうに予備員だったら、仮病をつかって訓練を休んでやるぞ、馬鹿にしくさって!)
だが、翌日、私の心配はふっとんでしまった。というのは、分隊長の二番機の操縦員が、前々からからだが悪くて母艦勤務ができないので、その補充に、私が霞ヶ浦から引っぱられたのだということがわかったからだ。
私が着任すると同時に、彼は退艦して、私は、あらたに一小隊二番機の戦列に加わった。わたしの飛行機番号は三一二号である。昨夜のふてくされた考えが、急に恥ずかしくなってしまった』

この一件、手記にはいつ頃の話かはっきり書かれていないのですが、前後の文脈から16年9月の前半頃の話ではないかと思われます。が、これ(日付)はちょっと違うかも?
もっと後の話ではないのかな?
日付の混同はあったとしても、分隊長の2番機の操縦員がいなくなった、というところは事実なのではないか?



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