今年の初め、ある会合で零戦Tシャツ屋さんと二人で受付に座りました。
そのとき、Tシャツ屋さんが、
「実は丙2の谷川澄男さんの息子さんと知り合いまして。谷川さんの写真を送ってもらったんですが、見ますか? 知っている人とか写っていませんか?」
と印刷した写真を見せてくださいました。
山陽丸の搭乗員の集合写真でした。
「あ、森健次さん!」
9期の森健次さん(偵察)が写っていました。
他にもあるということだったので、ぜひその息子さんを紹介してください、とお願いしました。
すぐに仲介してくださって、息子さんと直接連絡が取れるようになりました。
ビックリしたのですが、谷川さんの息子さん、Yさんともお知り合いだったんですよ(^^;)
狭いです(笑)
谷川さんは昭和14年に佐世保海兵団入団。
15年11月に丙2期、土浦海軍航空隊。
16年1月、飛練12期、鹿島海軍航空隊。
16年7月、実用機、博多海軍航空隊。
16年12月、飛練卒業。
呉空を経て17年2月、山陽丸へ。
ソロモンで任務に就いていたのですが(零式観測機操縦員)、昭和18年1月31日、敵機と交戦して被弾・空中火災。
脱出して海に浮いているところを鵯(ひよどり 水雷艇)に救助され、病院船氷川丸で内地に後送。
戦闘詳報
『一月三十一日 二飛曹谷川澄男敵機ト交戦戦傷(顔面右前膊左右下肢等二度熱傷右大腿同下腿爆弾々片創)』
結局、傷が悪化して右足を失うのですが、その後も海軍に残り義足で搭乗任務を続けられたようです。
息子さんによると、足を失ってからの話はあまりされなかったそう。
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