この人のこと、前にも書いています。
南昌飛行場に着陸して、敵機を焼き討ちにした小野了さんのことを書いたときに、小野機が故障したと思ったのか、自らの危険を顧みず助けるために同じように敵飛行場に着陸してきた僚機の操縦員が徳永有さんだったのです。
さらに、この人、9期の適性検査のときの教員だったらしく、藤代護さんが戦後に書いた手記に、
『(操偵適性検査時の)私の教員は、支那事変で敵の飛行場に強行着陸して、格納庫内の敵機を拳銃で焼き討ちした先輩四期の徳永一等航空兵曹であった。太い眉毛に、炯々たる眼光、その底に慈愛に満ちた笑みがたたえられている偉丈夫であった』
と、書いています。
「先輩四期」と書いていますが、3期です。
これを読んだときに、藤代さんの適性検査15班集合写真に一緒に写っている教員が徳永さんなのかな?と思ったのですが、よく見ると「太い眉毛に炯々たる眼光」という感じの人ではありません。
藤代さんと一緒に班写真に写っている教員。
「はて?」
と思っていました。
※現時点では、たぶん15班の面倒を見ていたのは↑この教員。が、藤代さんが適性検査で同乗してもらったのが徳永教員――という意味だったのだろうと解釈しています。
最近、島田さんの日記の適性検査のところを読んだのですが。
ありました!!
徳永教員の記述!
それも適性検査時ではなく、終わってからの話です。
14年6月10日で適性検査終了、霞空に帰隊。その翌日が日曜日で「休業」。
その日の日記です。
『午後外出。百遣の徳永教員と土浦にて合い倶楽部にて色々の事を話を聞いた。矢張り先輩だけに何となく其の気持が違う。ああ我等乙種予科練は先輩がいるので心強い。大いにやろう!! 徳永教員、後輩の私達を待っていてください』
※百遣・・・・筑波航空隊百里ヶ原分遣隊
よほど感激した様子であります。
ちなみに島田さんが操偵検査時のグループ写真で一緒に写っている教員は徳永さんではありません。
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