203空戦闘303飛行隊
2017-07-08


203空の戦闘303といえば、このブログでも曽我辰己さんや谷水竹雄さんのことを書いてきました。

曽我さんも谷水さんも20年になって戦闘303に所属。
ここに出している写真は谷水さんの遺品です。20年4月5月頃の写真が多いのではないかと思います。


『日本海軍戦闘機隊』【戦歴と航空隊史話】(大日本絵画)より

第203航空隊
昭和18年4月に基地航空隊用の戦闘機搭乗員の練成部隊として編成された厚木航空隊が、翌19年2月20日付けで第203航空隊と改称して実施部隊となったもので、新編と同時に2航艦51航戦に編入され、北海道から千島方面の防空任務に就く予定であった。
<中略>
4月15日の改編で203空は戦闘303飛行隊(飛行隊長:岡嶋清熊少佐、定数48機)、戦闘304飛行隊(飛行隊長:鴛渕孝大尉、定数48機)の2個飛行隊編成となった。



厚木空から203空に改称された時点で、ここにもよく書いている西澤廣義飛曹長(乙7期)や松本勝正上飛曹(乙9期)が所属していました。
203空発足時の基幹メンバー、ということですね。


西澤さんの写真の中に、何枚か19年の203空戦闘303時代の写真がありました。

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これとか。


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これとか。






松本さんのアルバムにも戦闘303時代の写真がありました。
西澤さんも松本さんも19年10月26日、比島に於いて輸送機で移動中に敵戦闘機に襲われ戦死されているので、かれらの遺品の中にあったということは基本的にそれ以前の写真ということです。
※厳密に言うと、厚木空時代か203空時代か戦闘303時代かの区別は困難です(^^;)


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安部醇大尉(兵70)と。

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わかりますかね?
左が安部醇分隊長で、右が松本勝正さんです。
松本さんって、かなり大柄な人です。
安部大尉、松本さんと互角です(^^;)

上に出している戦闘303の集合写真のこの人です。
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中列(椅子列)真ん中。

元戦闘303の搭乗員の方にこの集合写真のことを聞いたことがあるのですが、そのときに、椅子列の西澤さん、安部さん、松本さんの3人はデカかった、と言われていました。

分隊長とのツーショット写真って、けっこうレアかもしれません。
知り合いの搭乗員さんに聞いても、
「自分たち下士官の搭乗員は士官の人たちとはほとんど交流はなかった」
みたいなことを言われます。

わたしも下士官搭乗員が大尉とツーショットを撮っているのは初めて見たかもしれません。




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長田茂さん(右:甲9)と。

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長田さんも上の集合写真に写っています。
後列で色マフラーを巻いている人です。
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[乙7期]
[乙9期]

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