乙8期 古寺慶三さん
2016-11-16


前の投稿でA1グループの中にしれっと古寺慶三さんのお名前を出していますが。


いままで9期の記事を丹念に読んでこられた方々は、
「誰や、それっ!?」
ってビックリされましたよね、きっと。
初めて見るお名前で。

わたしもビックリしました。

箱の中にあったプリントに目を通したとき、最初に目に飛び込んできたのがA1の「小薬」・・・・、

「ああ、やっぱりあれは小薬さんやったんや」

と、ほっとしたのもつかの間、同じくA1に「古寺」・・・・、

「んっ!? どなたでしょうか!?」

見知らぬお名前が出てきたのでビックリしました。

ただ、すぐに、「あの人じゃないか」ってお顔は思い浮かびました。



藤原国雄さんが持っていた鈴鹿班写真の一番右端の人。


9期生ではない。
下士官やなあ、でも、練習生やなあ、名札は見えんなあ・・・・

で、あきらめていました。


プリントのA1グループに「古寺」というお名前を見つけて、すぐにこの人のことだと思いました。


「ん? 待てよ。もしかしたら・・・・」


博多の修業記念写真の練習生の中(←立ち位置)に、どなたかわからない人がいたんですよ。



同じ人やろ!


いまごろ・・・・。たいへん申し訳ない、本当に。



A1グループに8期生が二人いますが、小薬さんの方はのち中攻に進み(大分、木更津の中攻偵察専修集合写真に写っている。戦死時は銀河)、古寺さんの方は水上機に進んでいるので(博多の水上機・艦上機専修集合写真に写っている)、取り違えはしていないはずです。




古寺慶三さん
乙8期 鹿児島 水上機偵察員
17年11月3日 山陽丸 ソロモン諸島

「ショートランド水上基地で石田、八木、俺と四人偶然顔を合わす。その翌日山陽丸二座水偵でソロモン中水道に散る」
「数学の得意だった貴様は鈴鹿助教時代一人で代数の難問を解いては楽しんでいた勉強家。先生にでもなればよかったと思う」

上の回想は8期生の同期生会誌からですが、そこには古寺さんのところに「次期編入」と書かれてありました。
古寺さんがいつ9期と合流したかは現時点でつかんでいません。


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