藤原さんは偵察専修生なので、あまり操縦専修生の写真は貼られていませんでした。
が、数枚だけ、操縦専修生の個人写真が貼られていました。
【亀山一郎さん】※亀山さんのことを調べている方がいらしたら連絡いただけるとうれしいです。hinemos.mama@gmail.com
艦攻操縦員です。戦後生存。
亀山さんと藤原さんは1学年時、5班で同班です。
班集合写真には一緒に写っています。
5班で他に操縦に進んだ人は熊谷賢一さん、古田正直さん、野口義徳さんがいるのですが、個人写真が貼られていたのは亀山さんだけでした。
【上原定夫さん】
戦闘機操縦、台南空の上原定夫さんです。戦後生存。
上原さんは前の分隊で、組(5〜8班)も一緒のようです。
5班集合写真には写っていないので、6、7、8班のいずれかなのかな?
【新井正美さん】
※新井さんのことを調べられている方がいらしたら、ご連絡いただけるとうれしいです。
hinemos.mama@gmail.com
戦闘機操縦。
17年8月14日 台南空 ニューギニア
新井さんは1学年時後ろの分隊(13班)で藤原さんと接点は薄いはずなのですが、写真が何枚も貼ってあり、そのうちの1枚には「親友」という裏書がありました。
新井さんは報道班員吉田一さんの手記『サムライ零戦記者』にこんな記述があり・・・・
『私はさっそくその飛行機を見にいってみた。なるほどフラップどころか翼の四分の一も素ッ飛ばされている。傍らにいた整備員に、この搭乗員を呼んでもらうと、まだ子どものように若い新井三飛曹が、面映ゆそうにはにかんでやってきた。
飛行機の前に立たして写真を撮り、彼の姫路の住所をメモすると、
「こんなことが新聞に出るのですか」と目を見張った。
「多分ね」と私が答えると、
「じゃさっそく、家に手紙を出します。みんなで新聞を見るように・・・・」
はじめて彼の顔に押さえ切れぬ喜びの色が浮かび、額から両頬にかけて、派手に吹き出たにきびが、いっそう赤みを帯びてきた。そして、「帰ります」と、上官にでもするように、カチンと飛行靴の踵を合わせ、眉間までまっすぐな敬礼をして走り去って行った』
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