乙9期 坂田清一さん
2015-03-01


※編集しなおしました


新潟県出身。偵察員。
大正12年生まれ。6人きょうだいの長男。
高等小学校卒業後、予科練入隊。


坂田さんは雄翔館に氏名入り遺影がありました。
左・松沢正二さん(偵察)、右・坂田清一さん


こちらが坂田清一さん。
ペンネントは霞ヶ浦海軍航空隊。階級章は2等航空兵。
14年の秋・冬ぐらいか?





【東京行軍】
楠公銅像前

海軍館前


【ラグビー観戦】




【香取神宮】


【飛練・博多卒業写真】
16年10月


もう一枚、同郷の町谷昇次さんと厳島神社で撮ったツーショット写真があります。



「おもいで」

「ハチオン(発音)不良。通信訓練中、ズウズウ弁で長岡教員「坂田読ンデミロ」「ハイ、エロハ(イロハ)」「ナニイットルンダヤリ直シ」また「エロハ」」

「飛練時代平山班長の下で同班だった。飛練最後の日、白子の海岸を二人きりで深更まで散策したね。そして昭和二十年三月二十九日に君は新竹基地の彗星隊の一番機で白鞘を抱いて従容として飛び立った。すでに期するものがあったのであろう」

「まったく実直な男だった。頼まれれば新発田から米搗きにきたであろう。同県人としても誇りに思う。もう半月生きていてくれたら終戦だったのにと、悔やんでも惜しみある」





坂田さんの飛練卒業後の経歴、わかりました。
ご遺族の方が履歴をとってくださいました。
わたしは清一さんの弟さんご一家と連絡を取っているのですが、他の親族の方にも清一さんのことを熱心に調べられている方がいらっしゃるのだとか。こうやって気にかけているご親族の方々がいらっしゃるというのが、一番の供養になるんじゃないかと思います・・・・




16年10月31日、飛練卒業、同日付で「翔鶴」。

「えっ!?」

ってなりました。

翌年17年1月5日に鈴鹿空に転勤(教員)するまで翔鶴です。
ということは、坂田さん、行動調書にお名前はないけど真珠湾に行っていますね。


鈴空のあとが瑞鶴。
瑞鶴はちょっと長かったみたいです。
瑞鶴時代のペアの田中孫治さんは戦後ご健在ということだったので、瑞鶴会にも問い合わせてみたのですが、情報はありませんでした。

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