静岡出身、偵察、中攻。
4空。
【大楠山慰安行軍】
【葉山自転車行軍】
【14年紀元節】
【操偵適性検査】
この写真は、1月に見せていただいた池田和義さんの写真の中にあったものです。
適性検査時の待ち時間かな?
なかなか興味深い写真でした。また今度。
【鈴鹿・偵察飛練】
おもいで
「入隊した頃、加藤清正とおぼえていた。名は体を表すとか本当に厳正な君だった」
「入隊時同班。君の積極さにはいつも敬服していた。勉強家の反面よく世の中のことを知っていた。糸姫さんのことなどを聞かせてくれた。何も知らない俺には羨ましい人生経験だった。そして運動も上手でそのイダテン振りには舌を巻いたものだった。鈴鹿で運動会の優勝に大きな貢献をしてくれた君。静岡というところは君を生んだところ、いまでも富士を見るたびに思い出す君。いい人がそこにいたのではないか。それにしても戦いとは悲しいことを残すもの、やすらかに俺を待っていてくれ。泉下でその後を語り合おうよ」
同期生・本間猛さんの手記『予科練の空』。
「静岡県は富士郡の産で、予科練時代から努力の人であり、たいへんな勉強家だった。朝な夕な霊峰富士を眺めて育ったのであろう彼の人となり、人生観には、透徹としたものを、当時からすでににじませていた。俊敏な運動神経の持ち主で、運動万能であったが、とくに陸上競技に秀で、トラックを疾走する彼の俊足は、クラス対抗競技でいつもクラスに大量得点をもたらした。
昭和十六年春、鈴鹿航空隊で並みいるクラスを尻目に、わがクラス優勝の大運動会のときも、彼の韋駄天が高得点を与えてくれたのであった。優勝旗の傍らに白鉢巻きをきりりと締めてほほえんでいる当時の写真を見ると、彼をはじめ散華した級友の姿はいつまでも若々しい。彼は開戦後、いくばくもない昭和十七年二月二十日、南溟に消えた」
鈴鹿航空隊運動会優勝の記念写真(飛練卒業アルバムから)。
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