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トリミングしています。なんかもててるっぽくていいかな〜(*´▽`*)と思って。
スイマセン、思わせぶりで。
周辺にはほかの搭乗員たちもいます。
田中さんは9年の志願兵。操練43期。
西澤さんは11年に乙7期に入隊。
どこかで251空の先任搭乗員は西澤さんだと読んだような気がして、そう思い込んでいたんですよね(;^ω^)
「田中さんの方が2年も早いのに。西澤さんが予科練の出だからか」
と自分を納得させていました。
どこかで読んだような気がする、というだけではなく、大野竹好中尉が手記に「西澤班長」と書いていたので、「班長=先任搭乗員」と思い込んでいたわたしは、ここでもやはり、
「251空の先任搭乗員は西澤さん」
という思い込みを強めました。
でも、同じ手記に「先任下士官の田中上飛曹」という記述もあり「?」になっていました。
搭乗員さんに、
「一つの戦闘機隊(飛行隊)に先任搭乗員が二人いることもあるのですか?」
と聞いたこともあります。もちろん答えは「NO」で。
今回、写真を見てなんとなくわかった気がします。
「251空の先任搭乗員は田中さん」です。
大野さんが書いている「班長」というのは別物です。
どうも戦闘機隊がいくつかの班に分かれていて、班の下士官最先任者が「班長」のようです。
ですから、西澤さんはある班の「班長」ではあっても、先任搭乗員ではありません。
田中さんもある班の班長ですが、同時に戦闘機隊の先任搭乗員でもあったようです。
田中班長の班集合写真がありました。写っている人も半分以上氏名がわかりました。
いろいろ検討した結果、撮影場所は豊橋っぽいので、訓練も班単位でやっていたのだろうな、と。
行動調書を見る限り、戦地での出撃も、戦闘機隊の搭乗員がアトランダムに小隊を組んでいるのではなく、班を基本にしているようです。
もちろん、日が経つにつれて戦死者が増え、「班」基準では小隊を編制できなくなってきた様子はあります。
251空がラバウルに進出した当初は班を基本にして出撃していたんだなーというのが写真を見た感想です。
田中さんは251空戦闘機隊がなくなる8月末までずっと隊にいるので、西澤さんが251空で「先任」と呼ばれることはなかったんじゃないかな。
※画像は武田信行氏ご提供
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