7月6日。
九頭龍神社にお参りしてきました。
17年3月22日、当時4空の搭乗員だった山ア市郎平3飛曹がマーカム川上流に被弾不時着した際・・・・。
(翌23日) 真っ先にこたえたのは、腹がへっていることだった。フト思いついたのは、産土神、九頭龍神社のお守りと一緒に郷土の女子青年団より貰った千人針の中に、栗一箇とくる身一箇が入っていることだった。
千人針はこのとき身につけていたことは間違いありません。
お守りも、おそらく常時身につけていたんだろうなあと思っています。
今回、ご実家で見せていただいた山アさんの「遺品明細目録」の中に、「千人針」の記載はあったけれども「御守」の記載がなかったので、お守りは出撃時に身につけていたのではないかと想像しています。
「目録」の記載は、兵舎に遺していったもののリストでしょうから・・・・。
お守りを持っていたというだけではなく、九頭龍神社は山アさんにとって縁深い神社だったようです。
神社の社務所は、少し下ったところにある旅館が兼ねていました。
そこにも寄ってもらって、お守りをいただいてきました。
山アさんが持っていたお守りとは違うものだと思いますけどね。
なんだか御利益ありそう。
不時着しないに越したことはないがー(^_^;)
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