乙9期 大石芳男さん
2012-11-25


静岡県出身
艦爆操→戦闘機


鹿島神宮

整備実習

操縦専修

操縦専修

飛練は筑波だったようで、谷田部組集合写真には写っていません。

飛練・筑波集合写真
禺画像]
たぶん大石さんだと思うんですよね・・・・


大石さんは、『日本海軍戦闘機隊』の【エース列伝】の写真を元に探しました。



おもいで
「丸顔の童顔丸出しだが飛行訓練になると誰にも負けない」
「熊谷四班長―大石芳男・美男同士、よく可愛がられていたな、羨ましかった」
「剣道二段、試合ではいつも抜き胴できれいに勝ったのを覚えている。操縦も上手であったが攻射もまた特別上手だった。教員よりうまいぐらいであった。忘れることはできない。空戦ではアメちゃんには絶対負けなかったらう」
「昭和二十年四月五日台中基地で会ったのが最後になろうとは、零戦隊の先任下士だった」



瑞鶴、大分空、筑波空、252空戦闘302、205空

『日本海軍戦闘機隊』【戦歴と航空隊史話】の54Pに出ている「瑞鶴戦闘機隊員たちの写真」の一番左端は大石さんだと思います。



20年5月4日 戦闘302 宮古島


5月1日に飛曹長に進級した直後の戦死。第17大義隊戦果確認任務。
大石さんは乙9期生唯一の特攻戦死者です。


※8月15日に宇垣長官と共に沖縄に突入戦死した遠藤秋章飛曹長は、雄飛会の九期生戦没者名簿では「特攻」と書かれているのですが、海軍の書類上は特攻扱いされていないようです。


乙9期戦没者はこちら
[乙9期]

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