K上飛曹がお持ち帰りしたのは、残念ながらママのようなうら若き女性ではなく、これです。
ご自分の愛機・零戦21型の一部(垂直尾翼の上・前部)です。
なぜ、K上飛曹がこのような貴重なモノをお持ちなのか。
これに関しては、とってもおもしろい話があるのですが、誰が見ているかわからないネット上であまり赤裸々に書くと、K上飛曹にご迷惑をおかけしてしまうかも知れないので、いちおう、ご本人に、
「すべての事情を書いてもいいですか」
と聞いてみました。
返信、来るには来たのですが、
「写真、ありがとう」
「先日は会えてうれしかったよ」
「また会いたいよ」
という愛溢れることばであり、肝心の「全部書いてもいいですか」の返事はひとことも書かれておりませんでした・・・・。
※いつものように一部ご本人が意図しない脚色あり
なので、K上飛曹が捜査機関に目をつけられないよう、気をつけながら書きたいと思います(もちろん時効ですけど)。
昭和19年7月のある日。
K上飛曹はそれまでいたフィリピンのダバオからヤップ島に移動し、そこでB24の邀撃に上がったそうです。
↑この、ダバオからヤップ島への移動に関しても、作戦上の移動ではなく、ある事件(騒動)がきっかけになって憲兵に目をつけられ、菅野大尉が「めんどくせえからヤップに行こうぜ」と。
第一ダバオ事件とでもいいましょうか・・・・それは今日の本題ではないのでまた今度。
そのB24邀撃のとき、K上飛曹、不覚にも被弾、海上に不時着水してしまいました。
そこから泳ぎ泳ぎ、無事島民に助けられ生還。
その後、K上飛曹は本土に戻り、終戦まで戦い抜き・・・・。
時は流れ、昭和46年8月。
K上飛曹は、再び自分が不時着水したあの場所を訪れたそうです。
すると、見覚えのある数字が書き込まれた零戦を発見。
すぐに自分が乗っていた零戦だとわかったそうです。
さっそくK上飛曹は垂直尾翼の一部を引きちぎり、記念にお持ち帰りしました。
なお、簡単に”引きちぎり”と書きましたが、簡単にバキッと取れたわけではなく、かなり難儀したそうです(人力)。
そりゃあ、そうでしょう。なんぼ薄いと言っても空を飛んで敵の矢弾の中をくぐり抜けていた機体ですから、そう簡単にぺりっと取れてはたまりません。
お持ち帰りした経緯に関しては、詳細は省きます。
先日の会合の際、会場に持ってこられて、みんなに持たせてくださったのですが、えっ!?てほど軽かったです。
でも世界の零戦、頑丈(^_^)v
中にはいきなりガコーンと落とした方もいらっしゃいましたが、K上飛曹、
「かまへん、かまへん、大丈夫! ヘ(^o^)/」
あいている穴は弾痕らしいです。
黒いモノがもじゃもじゃ書いてあるのは、K上飛曹直筆の由来書きです。
K上飛曹、も一つお持ち帰り。 ←本当は”も一つ”ではない。
航空時計。
暗いところで見ると、光ります。
こちらは手に持ったら、ずっしりと重かった・・・・。
首から提げたらさぞ疲れるんじゃないか、というぐらいの重量でした。
いまだに動くんだそうですよ。
ちなみに、この時計も、会場に持ってこられていたその他いろいろも、搭乗員個人の持ち物ではないらしく、
「なんでわしが持っとるんかわからんのや f(^_^;)」
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