【西澤廣義の肉声】4 お誕生日スペシャル
2010-01-27


今日は西澤さんの誕生日(大正9年(1920)1月27日)なので、かれと相思相愛だった海軍報道班員の吉田一さんの手記から。


『死神とは縁遠そうなラバウル時代の彼のすべてが、頭にしみ込んでいて、彼の死がしばらくは信じきれず、いまにも私の目前に、
「オース」とでもいいながら現れてきそうな気がしてならなかった。
わたしを呼ぶのに、だれしもが、吉田報道班員とか、ただ単に、報道班員と呼ぶなかで、彼だけは、
「吉田さん」と娑婆くさい呼び方をしたし、私もまた、
「西沢君」と硝煙くさくなく呼んでいた』




有名な例のエピソード。

『その「月光」で最も戦果を上げた工藤一飛曹が、草鹿南東方面艦隊司令長官から感状とともに日本刀を授けられたことがあり、授与式の終わった後で、私が小園司令と彼をならべて記念写真を撮った。そして、彼が、集まっていた戦闘機搭乗員の中に入って行くと、みんなはいかにも羨ましげに軍刀を持った彼の後ろ姿を見送っていたが、そのとき、
「俺は何機墜としたら貰えるのかい」と、だれか冗談らしく小声でしゃべった奴がいた。その声にみんなの笑いが爆発した。ふりかえった私に、西沢がニヤニヤ笑いながら舌を出して見せた。私は冗談にしろ、はじめて彼の不服の声を聞いた。彼の顔は笑っていたが、目の奥にはやっぱり隠しきれぬ不平らしい閃きを見つけた。
「西沢君、君にはすばらしいものを俺が授与するよ」
愉快なたくらみを胸に浮かべた私は、彼に笑いかけた。
「ほんとうですか。よし、それでは一つちょうだいに行きますよ」
彼の目は、ふたたびいつもと変わらぬ邪気のない少年の目に変わっていた』


「おれは何機墜としたらもらえるのかい」
チョー有名な西澤さんのセリフ。でも、西澤さんの人柄を知るにつけて、このセリフ、一番言いそうにないんですよねー。
ママ的には、本心からはほど遠い、完全なウケ狙いのセリフと認定しました。
おそらく西澤さんはみんなが爆笑した時点で、
「よっしゃっ!! ウケたぜっ!(^o^)v」
と満足していたはずで、真に受けた吉田さんが「すばらしいものをあげよう」なんて言い出すことは想定外だったでしょう。
でも、たまには言い慣れない冗談を言ってみるもんですねー。
さーて、西澤さんは吉田さんから何をもらったのでしょう?


『数日後、私が飛行場行きをサボって宿舎の食堂でワイフへのラブレターを書いていると、「吉田さん」と呼ぶ声が庭から聞こえた。
腰を上げた私が庭を見下ろすと、長い山道を歩いてでもきたのか、顔を上気させた西沢が立っていた。
「お約束の物を頂戴にきましたよ」
といいながら帽子を取って頭の汗を拭いている。
「よし、待っててくれ」
私はすぐ寝室に入り、リュックの中から約束の品を取り出した。それは新橋のあるS(海軍びいきの芸者)から、前に前線におられた宮様の司令におとどけしてくれと頼まれた彼女の心をこめた舞扇だった。それが殿下が転任されてしまっていて、おとどけしようもなく、つい心ならずも私のリュックの中に長いこと投げこんでおいた代物だ。模様は忘れたが、小豆色の縮緬の袱紗に包まれた扇を開くと、なんともいえぬ甘い脂粉の香りというか、それとも彼女の体臭なのか、気の遠くなるような匂いがする藤間流の舞扇だった。

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[海軍]

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