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初島上飛曹は『紫電改の六機』の6人の主人公のうちの1人です。
20年7月24日、豊後水道上空の空戦で、鴛渕隊長とともに戦死してしまいました。
甲飛9期出身、和歌山出身。
ママがわかっている初島兵曹の経歴は、203空戦闘303、343空戦闘701。
戦闘303では、西澤飛曹長と同じ飛行隊でした。
でも、編制表を見る限りでは、西澤飛曹長と初島兵曹はあまり縁はなかったようです。
でも、同じ飛行隊なので、話ぐらいはしたんじゃないでしょうか。
初島兵曹の戦闘303時代のことは安部正治さんの手記にちらっと出てきます。
西澤飛曹長が戦死したときのことも書いてありました。
西澤さんたちが戦死した10月26日は、初島兵曹や安部さんは別の任務でよそに行っていて、マバラカット基地にはおらず、翌27日に戻ってきてから飛曹長の戦死を聞いた、と、安部さんの手記に出ていました。
しばらく比島にいたようなのですが・・・・。
その後の経緯がよくわからない・・・・。
戦闘303が内地に引き上げてきた時に一緒に戻ってきたのだと思うのですが(安部さんは一緒に戻れなかったらしい)、いつ、戦闘701に転勤になったのかがわかりません。
3月末だか、4月上旬だという松山での戦闘701の集合写真に写っているので、その頃には確実に戦闘701にいたのでしょう。
その後、鴛渕隊長の列機になり・・・・7月24日の空戦で、鴛渕隊長とともに未帰還になってしまいました。
ママは、ときどき、理由もなくある搭乗員が気になってしかたがなくなることがあるのですが、この初島兵曹もそんな1人です。
気になって、「知りたい」と思うのですが、地味な搭乗員さんだと、あまり本にも載っていないようで・・・・。
ママの、初島兵曹に関する情報源は『紫電改の六機』と『還ってきた紫電改』の予科練時代の写真ぐらいでした。今回借りた『源田の剣』に、7月24日の空戦のことも詳しく書いてあるようですが・・・・。ちらっと見たのですが、ちゃんと読むのが怖い・・・・。
ネットで調べてみても、初島兵曹といえば、鴛渕隊長と一緒に戦死した人、ぐらいのことしか出ていないわけで・・・・。
知りたい・・・・知りたい・・・・。
初島兵曹の人柄が知りたい、とずっと思っていました。
戦闘701でご一緒だったOさんに初島兵曹のこと、聞いてみました。
「大人しくてまじめな人」
だそうです。
とにかく「まじめな人」ってのを強調されていました。
後輩だったOさんのことも決して呼び捨てにはせず、「O兵曹」と呼んでいたそうです。
イメージ通りというか・・・・わかる、わかる・・・・。
そんな人だと思っていました。
本で読むのと違って、実際に知っている方に話を聞くと、また違った感銘を受けますよね・・・・。実像に近づけたような感じ。
まじめで責任感の強い人だったのだと思います。
誰も最期を見ていないのでわからないことなのですが・・・・結果的に鴛渕隊長を守りきれなかったこと、無念だったろうなあ・・・・。
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