学生時代の発掘バイト
2008-12-23


数週間前、ネットを見ていたら、あるマンガ家が失業中に発掘現場でバイトをして、そこで経験したことをマンガに描いて発表した、という話が出ていました。

「ああ・・・・現場って、いろんな人、いるんだよねえ・・・・」

ところで、みなさんもいろいろなバイトをしたことがあると思いますが、発掘のバイトをしたことはありますか?

あれって、どこで募集しているのでしょうね?

ママは、いままでやった発掘や遺物整理のバイトは全部ツテ(こね?)です。

初めて発掘のバイトをしたのは大学2年になってすぐ。
大学のお膝元・T市の現場でした。

そこは考古学研究室の助手・院生・並み居る先輩方もみんなお世話になったという市で、たしか、研究室の先輩に現場の責任者の人を紹介してもらって、行くようになったのだと記憶しています。

責任者のYさんに、最初の面接のときに言われたことば、
「あなたはまだ何もできない学生さんですが、最初からみんなと同じバイト代がT市の税金から払われます。現場でたくさん勉強して、そのうちT市にお返しができるぐらいの調査員になって下さい」
いまでも忘れられません。
果たして、わたしは何年もお世話になったT市に、少しは恩返しできたのでしょうか・・・・?

当時、T市の現場にはいろんな人種の人がいました。
まず、市の職員である現場責任者(発掘調査員)。普通、いち現場に1人です。
それから普通のバイト(学生含む)。
それから、どこからともなくマイクロバスに乗って運ばれてくるおっちゃんたち。

先に、おっちゃんたちのことから書きましょうかねえ。
ママは正確なことは知らないので、もしかしたら間違っているかも知れませんが、いまでいう派遣? 日雇いみたいなおっちゃんたちが10人ぐらいいました。
たぶん、昨日は工事現場、今日は発掘現場、明日は警備員、という感じではなく、発掘専門の作業員なのかな? 手慣れている感じでしたよ。
ママがグラインダーという機械(高速回転する刃物研ぎ)でガリ(地表面や壁面を削る工具)を研いでいたら、
「ああっ!! ねーちゃんっ!! 危ない、危ないっ!! おっちゃんがやったる」
と横から割り込んできてグラインダーかけてくれるような・・・・。気のいいおっちゃんが多かったなあ・・・・。
おっちゃんに研いでもらったグラインダーはかき味抜群でした。

でも、フツーのバイトとおっちゃんたちは休憩場所も違っていたので、交流は全然ありませんでした。

現場責任者とフツーのバイトはプレハブの同じ場所で休憩や食事をしていました。
責任者は年長の人も多かったのであれですが、バイトは若い人が多かったので、現場以外でも交流があったりして楽しかったです。

で、T市の現場には考古学の学生以外、どんな人たちがいたかというと・・・・。
カメラマン、イラストレーター(マンガ家?)、シナリオライター?、ジャズピアニスト、指揮者、料理専門学校生、納税協会、自称小説家、私学教員(←これ、書いていいんかなあ?)などなど。
これらの方々、別に学生時代考古学をやっていたというわけではありません。
どうしてT市の発掘現場でバイトするようになったのか、当時聞いたかも知れませんが、いまはもう憶えていません。

ふだん、学校では考古学の人としか接触がないので、現場の「いろんな」人たちは新鮮でした。

ママ、人生でたった一度だけ「ディスコ」なるものに行ったことがありますが、それも現場のイラストレーターのMさんとジャズピアニストのFさんに連れて行ってもらったものです。
ママの学生時代はバブルなので、みなさん、マハラジャみたいなのを想像されるかも知れませんが、Mさんが連れて行ってくれたのはたしかレゲエ系のディスコでした。
現場ではおとなしそうなMさんがノリノリで踊っているのを見て、

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