251空のUI-105号機
2008-12-02


禺画像]
恒例、ママの妄想戦史シリーズ!!

↑使いまわし画像ですが、吉田一報道班員が陸攻の中から撮影した251空の直掩戦闘機零戦22型(トレース)。
(「UI」というのは251空の部隊符号らしい。ちなみに台南空は「V」)

もとになった零戦写真は、日本一有名な零戦写真といっても過言ではないでしょう。間違いなく零戦ベストショット三指に入るのではないでしょうか。

ただ・・・・この日本一有名な零戦に乗っている搭乗員に関しては・・・・


ママが初めてこの写真を目にしたときについていた解説には、「西澤廣義上飛曹機」らしい、と書いてありました。

それからしばらくママはその解説を信じ込み、この写真を見るたびに、
「ふぁあ〜西澤さ〜ん(^。^)」
と憧憬の思いをこめて眺めていたわけですが、ある記述を読んでから、「この搭乗員は西澤さんではない」と思うようになりました。

光人社が出している『零戦』という写真集です。
吉田さんが撮影した零戦もいくつか掲載されていて、この251空のUI-105号機も載っています。

その解説にはこう書いてあります。
「・・・・搭乗員が、果たして誰であったか、吉田氏の記憶はついに戻らなかったという」

撮った本人が「誰だかわからない」と言っている写真、ということになります。
そりゃあ、報道班員として、数え切れないぐらいの搭乗員たちに接してきたでしょう。覚えていないのも無理はありません。

でも、吉田さんと西澤さんの仲はそんなただの「報道班員」と「搭乗員」という仲ではありません。
西澤さんは同僚たちからの評判はあまり芳しくありません。ひねくれもので異常な負けず嫌いで、坂井さんは「気の重いやつ」とか「狷介」とすら言っています。
ところが、吉田さんに対しては素直な好青年です。
吉田さんだけは無条件に西澤さんの味方であり、間違いなくかれのことをこよなく愛していたと断言できます。
そんな吉田さんが西澤さん搭乗の零戦を忘れるわけがない、とママは思うのです。

いったい、どこからUI-105号機=西澤機という話が出てきたのでしょうか。

たしかに写真をよく見ると、搭乗員の顔は西澤さんに似ているような気もします。
ただ、マフラーで顔の下半分を隠しているようなので、目元だけですが。

じゃあ、西澤さんじゃなかったら誰だ?ということになります。

『零戦』写真集には「18年5月」「オロ湾に進攻した5月14日の撮影と推定され」と書いてあります。

ママ調べでも、5月だとしたら、14日だろうと思います(調査の詳細は省く←「本当にしたんかい」と突っ込まないように)。

5月14日の編制表。

向井一郎
坂上忠治
八尋俊一

磯崎千利
山本末廣
中西 貢

田中三一郎
松吉 節
小竹高吉

鴛渕 孝
西澤廣義
関口栄次

香下 孝
四宮与三郎
安藤宇一郎

木村 章
遠藤枡秋
小西信雄

橋本光輝
中山義一
塚本秀夫

大野竹好
米田 忠
松本勝次郎

林 喜重
辻岡 保    離陸直後脚入らず引き返す   
増田勘一

大宅秀平
山崎市郎平
池田市次

近藤 任
石崎博次
直島喜平

ざっとこんなところで。
当時、まだ3機1小隊で飛んでいます。各小隊ごとに、小隊長(1番機)、2番機、3番機の順で並んでいます。

「あ、こんなところに重大なヒントがっ!!」

実は上の画像、UI-105機のみ抽出して描いていますが、実際の写真には105号機のすぐ向こうに翼を重ねるようにして109号機が写っています。位置からして、105号機が小隊長、109号機は列機の位置です。

ずっと離れたところに3機編隊で飛んでいる小隊が写っているカットもあります。


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