先日、『辻堂演習写真F』で紹介した乙8期の坂本四月さん。
高知県出身の中攻操縦員です。
戦没場所ですが、同期生会誌では「マレー方面」、雄飛会戦没者名簿では「西カロリン諸島方面」になっていて、行動調書も見つけられなかったことからその2つを併記しておいたのですが、あの後Kさんからメールをいただきまして。
「たしか『予科練外史』に小南良介さん(乙8、当時高雄空で坂本さんと一緒だった)の絵日記が紹介されていたような・・・・?」
と。
予科練時代の小南さん。
すぐに『予科練外史』を探しました。
4巻に、坂本さんの戦死時のことが図入りで載っていました。
17年2月7日。
高雄空陸攻隊はホロ基地→ダバオ基地→ペリリュー基地(パラオ)→トラックと移動中だったそうです。
『いよいよ二月七日早朝、トラックめざしてペリリュー基地を発進、一路東へ進む。船も、島も、空飛ぶ鳥も見えず、唯雲ばかりの洋上を、基地物件を満載した飛行機群は、強い陽光に銀翼を輝かせながら快翔を続ける。
機上では一一三〇頃航空弁当を開いた。竹皮包みの麦飯に里芋と魚と漬物のお菜。双樹席に座ったまま、綿のように浮かぶ雲の波を眺め、緑色の大海原を見下ろして味わう麦飯の味は格別であった。
北緯七度の線上を、東へ、東へ、ゆるぎない編隊陣で進んでいるうち、突然、一二五五、一小隊の二番機が、一番機の渦流内に吸い込まれて、右翼と右プロペラで一番機に空中衝突をしてしまった。
次は後日、ラバウルの陸攻隊の宿舎で、小南から聞いたそのときの状況である』
として、例の図(手書き)が掲載されています。
2機の接触の状況です。
こんな感じの絵です。※黒が小南さん図の元の書き込み。赤がわたし書き込み
たぶん上図が2機の接触時の状況で、下が接触直前の編隊3機の位置関係なのかなと思います。
小南さんの飛行機はもう少しまるっこくデフォルメしてあり、わたしが描いたものは一式陸攻の平面図をトレースしたものなので、若干位置関係がずれています(飛行機接触時の図。わたしの図では右翼で切ったように見えますが、小南さんの図ではもう少しプロペラが切断面に近いです)。
衝突地点はササオン島の170度6浬と書かれているのですが、「ササオン島」がどこなのかわかりませんでした。が、小南さんは丁寧にササオン島の緯度経度を「7度N、147度E」と書いてくれているので、おおよそこのあたりだろうという地点に×をつけています(下の地図)。
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