同じくラエらしい。
これもラエですね。於ニューギニア
左の書き込みは、他の筆跡と比べて、たぶん自筆。
【251空時代】17年11月〜18年8月
豊橋で。坂井さんと。らしいですが。
これも豊橋らしい。
251空のUI-12×が、まだ迷彩塗装されていません。
すでにアンテナ支柱はないけど。
関係ないですが、ママ、
こんなんも作ったことあります(^◇^;)
たぶん、これが豊橋でのUI-106号機と西澤さん。
カウリングの下に「6」と記入してあります。
西澤さんが操縦席にいる写真って、これだけじゃないでしょうか。いいですね。
【飛曹長時代】18年11月〜
時期や場所、不明です。
が、袖の階級章が飛曹長です。
これも時期・場所、不明ながら、袖の階級章は飛曹長。
マフラーの皺の状態、救命胴衣の紐の結び具合から上の写真と同じ時だと思います。
他の飛曹長時代の写真と比べて髪の毛が短めなので、飛曹長に任官直後・・・・大分空の教官時代・・・・かもしれません。
戦闘303、19年8月頃、武蔵基地らしいです。
集合写真の中の西澤さん。
これにも○ついているでしょう?
○がついている集合写真はこれが最後じゃないかと思います。
この「○」に関してはいろいろと思うところがあるので、あらためて書くかも知れません・・・・。
それと・・・・お気づきですか?
飛曹長時代とはっきりわかる写真にはヒゲがありません。
ここに出した以外の飛曹長写真でもヒゲはありません。
69年目の真実(笑)、とでもいったところでしょうか。
わたしが見た限り、ヒゲがあるのは台南空・251空時代の1飛曹・上飛曹時代のみ。
台南空下士官搭乗員写真で「ヒゲに着目」って自分で言っているぐらいなので、やっぱりヒゲは西澤さん的には特殊な状態だったのでしょう。
トレース版でもつけた【おまけ】
髪が長いんで、飛曹長時代ではないかと思います。
今回は髪型のことは見逃してあげます(笑)
一緒に写っている人のことです。
周りの人たちは、服装から海軍の人。
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